スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

蛍とミツバチに喜ぶ農家でありたい

2017.06.28 11:04|


早朝に街場までの配達を済ませ、久々の雨の景色と音に身体を休めている。

午前中は少し休もう。

そんな気分だ。

雨の雫がメダカの住処にポチョンポチョンと、少し物足らない音を立てては波紋を広げる様子が美しい。


先日、ウチの農園に作業を手伝いに来てくれたとある青年の言葉を頭に浮かべていた。

「都会にいると雨は鬱陶しく感じるんですがやっぱ嬉しいものなんですか?」

その年の空模様と作業状況にもよるが、この年の、この季節を過ごす農家とすれば、外に出て自分も浴びたい程嬉しいものだと。

こんなにも雨の匂いに気持ち良くなれるのは、あまり雨粒が今年の天から降ってこないからだろう。

例えば、

「今年は空梅雨になりそうだから...」

と、いくら予測を立てて作業を進めていても、やっぱり雨の恵の旺盛さは違う。


「五風十雨」「ゴフウジュウウ」という言葉があるが、5日ごとに風が吹き、10日ごとに雨が降ることは気候が穏やかであり豊作の兆しを現すと言っている。

その安心からなる穏やかさが辺りを包み、世の中が平穏になるという意味合いをもった言葉だが、その通り雨は凄く大事なのだ。

だから雨を嫌わないであげてくれと、そう思った。



そんな今年の気候がせっせと作ってくれた野菜はそれでも次々と最盛期を迎えている。

今日も誰かの命と変わっているとおもうと、この仕事に多大なる責任を感じる。

一年一年少しずつ面積を広げていくことが出来ているこの村の小さな僕の農園は、お客様を始め、各流通の方々、飲食店、小売り店、先輩農家関係者の方々に見守られながら、畑で育つ作物の様に...森で育つ木々の様に成長を続けることが今も出来ています。


もっとこの村の畑や森林と関わりたい。


そうおもうのは、昨年のこの時期に再び姿を現してくれた蛍に励みをもらったから。

今年の春に再び姿を現した日本ミツバチに励みをもらったから。

長い間いなくなっていたものが再び戻ってきている。

誰かが何処からか連れて来た訳でもない、誰がつくった訳でもないこの状況は、今、南牧村の沢だったり、南牧村の森で繁殖と共にひっそりと始まっているんです。

いったい何に誘われてまた戻って来たのだろうか?


今の僕には分からない。


でも、この場所に住もうとおもい、この場所で自然農を続けようとおもい、この場所の一部の未来を考えてみようとおもう僕は、割とこの蛍やミツバチと似ているところがあるんじゃないかと...そんなコトをおもった。


本当に良い場所に巡り合ったと5年目の今も変わらずそう思っている。

本当に良い人達と知り合うことが出来たと5年目の今も変わらずそう思っている。

その、戻りつつあるのかもしれない生態系にもそんな氣が漂っていてくれたらなと...そう願った。


人々の気持ちは暮らしに現れ、働きはその場所の景色となります。



遠くにいる人達や、近くにいる人達、色々な人達の関わり合いが日常の些細な積み重ねでこの掛け替えのないモノに手を加えてくれていることをいつも大事におもいたい。

守ったり。

整えたり。

ほっといてあげたり。

成長させてあげたり。

見える形でだったり。

見えない所でだったり。

こんな仕事をしているので、時に畑や野菜を通じて伝わってくる事があるんです。

だから、僕がここで農家を続けてられるし、蛍の知らせに喜びと安心感を得ることが出来ているんです。

なので、この環境の小さな再生を伝えられたら皆んな喜ぶかな?なんて想像に微笑んだりもしています。


今はひっそりと...そして静かに。





「自然農法 」

一年一年実績を積み、そして経験に変える。

技術を手につけ言葉を話す。

そしてそれは、いつもそこの景色へと変わる。

きちんとした形でこの場所の「一つの」伝統にしていきたい。

そうおもう、全国の農家の中の1人より。

いつもありがとうございます。

今日はそう、書かせて下さい。
スポンサーサイト

日常的な雑記

2017.06.22 11:50|暮らし


少し前に遡り...
秋が終わろうとしている頃のこと...

音声マイクを持った人、質問をしてくる人、カメラを持った人がやってきた。

その顔からは「良い映が撮れたらいいな」と好奇心が浮かんでいる様子とは少し違い、何か「掘り出してやろう」と裏がありそうな笑顔があった。


人の癖は顔と言葉に出やすい。


登場のシーンと題された撮影から始まり縁側での話しへとスムーズな感じで進んでいった。


僕は質問に返答をしながらも、「何かこの人にとって喜ばしい話しをしてあげられればいいな」と思いながら、こっち側からもその根本を探った。


少し肌寒い中、縁側に座り話しをする事30分。


質問をしてくる人がカメラを一旦止めるよう指示をした。

「お茶でも飲みますか?」

「寒いから中へ入りますか?」

普段ならそんな言葉が自分の思いやりから出てきても良いタイミングのはずなんだが、この時は少し違っていた。


僕の横に座りこんでいる、質問してくる人との出会いはもちろん今日が初めて。

その初めましての出会いを楽しもうと始まったはずの撮影だが、何やら隣の人は頭を悩ませながら

「う~ん....う~ん. ...」と言っている。


ほらね。何かが当たったかな。


横に座る、質問してくる人の表情を見ながら僕はそんなコトを思った。


「良い話は分かりました...だけど、実はこんな辛いことや、心折れそうになった時の話し、田舎暮らしして失敗したなっていう面白い話しはないですか?」

と、カメラの止まっている縁側ではそんな話しが唸り声の後に続いた。


すると今度は僕の方が「う~ん...う~ん. ...」

縁側に座り、初めましての2人は出会いに喜ぶこともなく唸り合う。


「んじゃ~こんなのはどうですか?」


僕はその時に出来る...というかしてあげようって思えた最大限の「実は...」と言う話しを話してみた。


「それいいですね!」

と、質問をする人はカメラを回すよう指示を出すと撮影は再開された。


先程話した話しを、あたかも今話してたかのようにもう一度話す「実はこんなコトが辛かった」という素人の演技はガチガチで話しも弾まず、顔は引きつっていた。


案の定、再びカメラは止まり、今度は縁側のう~ん...という唸りが再開された。


「合わないですね」


見切ったというか、開き直ったというか...僕の正直な言葉はそんなとこだった。


何で初めて会った人に田舎への移住の大変さを裏話風に語らなくてはいけないのか。


そんな話しは良く馴染んだ人にだって普段から話さないのに。



なんとか掘り下げたいと質問する人の言葉は、その裏を表に出しながら一生懸命に僕に問いかけてきてくれた。


そうだよな~撮りたい映と、番組に合わせたシナリオがありますもんね。


わざわざ、ここまで来て、撮れなかったら貴重な時間が全部無駄になってしまいますもんね。

分かりますよディレクターさん。

その仕事にかけるプライドも。



でも、僕から出る言葉はいくら上手に引き出そうと質問されても...


「僕からは何も出ないですよ」


それしかありませんでした。

だって最初聞いてた企画の話しと少し違ってきてるもんと...。



僕の行なっていることと、話したい言葉が、その人の描くモノに見合っていないのならば、それはそれでしょうがないです。


話しを盛り上げられなかった事に対しては、わざわざココまで来て頂いて申し訳ないし、せっかくの出会いが何に繋がることもなくこれで終わる....と残念な気持ちになりましたが...


きっとどこかにその人が描きたいモノにピッタリの、引き出しがいのある人が見つかりますよ。


そう思いながら話しを返し続けた。


確かに、田舎暮らしを初めて良い事ばかりじゃないのは当然のことですし、先に多少の不安を抱けば多々出て来ます。

どこでも一緒、当然のことだと思ってます。

でも、自分個人の行いに目的や希望をもって一生懸命になっていると、それにハマり始めるんです。


「自分で決めた事なんで」


一生懸命の度数が自分の中で上がって滑らかになればなる程、コトはハマっていくっていう話しを僕はしたいんです。


そうすると...変な事があっても、ハマっていることがあれば、次の日には忘れて思い出せなくなってくるんです。


「だからその類の話しは出ないんです」


他のことを持っておくだけの余地が無いってことです。


カメラのまわらない話しはその人の大事な仕事の時間をただただ消費していった。



僕は申し訳ないな...と思いながらも、自分には合わないモノゴトをいくら一生懸命に進めようとしてもお互いにとってはその時間は消費しているだけで勿体無いとそう決断したんです。


出会いを楽しみ、善意を持ち、協力し合った先に起こることに向き合いながら、自分のやりたい事や、出来ることを、選択していく。


選択と決断をその都度することが大事だと思っています。


自分に余裕があって誰かの何かを手伝うことはとてもいい事だと思うけど、自分に余裕がある時だけに留めておいた方が良いと思う。


自分が手伝えるのはココまで。
後は自分の暮らしに戻ります。


そのくらいが僕は調度良いんです。


自分自身の容量を知り、やろうってイメージしている事を淡々と行なっていくことほど大事なことはありません。



「自分のことだけしかやっていないじゃないか」


途中そんな言葉もきっと受けるでしょう。



でも、そんな言葉を真に受けるとその言葉を放った相手の見方も自分自身の中から変わっていってしまうものです。


だから気にしないで。


それが「何かを目指す者同士」にとっては根本で、大きな励みに変わっているはずだからです。


「必ず1つ1つを形に現していって下さい」


出来事には連鎖反応がありますから。



そんなことを思いました。







人は産まれた時から死ぬまで、ある意味では1人という孤独です。

無理に誰かと何かをやらなくても、誰に何を言われても、自分1人が自分を一生懸命に生きていればそれに刺激が起こります。


誰かと一緒に何かをやっている気になるのではなく、自分1人の生きる術を磨くこと。


時には誰かに甘えて、その手に温かみを感じるのも良い事ですが、いつかは自分もその時触れた手の温もりと同じような温かい手を他の誰かに差し伸べてあげることが出来る人になれる様に。


そう考えながら日々の選択と決断を1人で行なっていくことが大事だと思っています。



話しは逸れましたが、そんなことを踏まえながらの撮影は大きな形で企画から外れ、僕が予定されていた番組に出るという事はありませんでした。




「それではありがとうございました」
「使えるかどうかは分かりませんが...」



と仕事を終えた方は、さっきまでの表情とは全く違った雰囲気で、僕に言葉をくれました。


「目的って強いですね」

「なんだかんだありながらも段々形になってきてんのが自分で気付けてるから、今もの凄く楽しいでしょ?」

「きっと実現的になると予感してます」


と。


番組の企画とは逸れたが、僕のコトを理解してくれた1人の人に嬉しい気持ちでいっぱいになりました。


せっかくの機会を本当に申し訳ありませんでしたと、ありがとうございますを伝え、その日をようやく終えることとなりました。



貴重な経験をさせてもらってます。

窯の前で火を吹く男

2017.06.10 17:28|日本
書きなさい書きなさいと煩い頭が日々の物語を生み出していく。

僕の歩んでる道の記録。

公開的にしていくことで、何かに変わるんではないかと思うのは、きっとどこかで似たような道を、わりと似たような歩幅で歩んでる人がいて、どこかで頷いてくれているかもしれないという勝手な励みだったりもしているから。



満月が輝やかしいある日の晩。

大気に吸い上げられるような上昇気流は雷を鳴らしながら木々を揺さぶり猛烈な雨を降らした。

畑の土を叩きながら強風と共に通り過ぎていく梅雨の空は、大地に潤いを与えるのにとても忙しそうだ。

家に入り久々の雨の音に気持ち良さを感じながら少し早目の夜の支度を始める。

辺りは暗くなりしばらくすると...

さっきまでの上空のパレードとは打って変わって、静まりかえった山村には大きくなった川の流れの音がザーっとだけ響いていた。

カーテンを開け、夜空を見上げてみると満月の明かりが靄を漂わせた森を幻想的に照らしていた。


「最近の天気はちょっとおかしいな」

「何かの前兆なのかもしれないな」

そんな言葉にも、こんな天気にも慣れた。

そんな言葉にも、こんな天気にも、自分の暮らしと農作業を身体で合わせて生きる様になっていた。


気付けばそういうもんだろう。


幻想的な山村の景色と月の綺麗さにそんなことを思った。


降るかもしれない梅雨の空に...
降らないかもしれない梅雨の空に...

左右されながら、その日を待つんだ。

ただ、どんな雨であろうと、今日降ればその一滴一滴は全て明日の恵みに変わるということだ。



別の季節の似たような満月のある日のこと...
(の様に....)

男が、窯に火を起こしていた。

その様子はせっせせっせと何やら忙しそうだ。

ぴょんぴょんと跳ねる様に窯と薪置き場を行ったり来たりしては口をとがらせながら竹筒から「ふぅーっ」と種火に息をかけている。


男が息を吹きかける度、炎は嬉しそうに窯の中で広がっていった。


火の上の釜には米が焚かれていてその繰り返しを見ていると、蒸気で蓋がカタカタと鳴り始めた。


男は慌てる様に蓋に重石を乗っけ、炭を崩しては、まばらにそれを広げ火力を落とした。


窯の前に膝をつき、炭だらけで真っ黒になった手を擦り合わせながら炊き上がりを待っている姿は僕にとって美しく映った。


まるでお窯と会話をしているようだ。


しばらくして、男は何かに気付いた様にハッと立ち上がり、首にぶら下げた手拭いで手を拭きながら、屋敷神様がお祀りされている碑の前へ行き、またそこで膝をついた。

すると、腰にぶら下げたひょうたんでできた酒瓶からコップに3つの酒を注いで碑の前に丁寧に置いた。

ん?

何で3つなんだろうか?

そう不思議に思っていると、男は碑に向かって呟くように言った。

「今年はお陰様で良い米がとれた」

ですので、お稲荷さん達にも是非この酒を呑んで頂きたくって。

そういうと、碑に祀られた屋敷神様、その屋敷神様の門を番する左右のお稲荷さんにも手を合わせて御満悦な表情で碑に感謝を込めて表した。

なるほどな~。
沁み入るようにその光景は僕の中へと入ってきた。

釜に戻り、ゆっくりと上がる蒸気を確認すると、腹を空かせた男の頬はとにかく柔らかで嬉しそうだった。


きっととてつもなく美味しいだろう。


それにつられたお稲荷さんも屋敷神様の隅で頬を赤くし、ほろ酔いに喜んでいるかの様に僕には見えた。

月夜の晩に踊るひょっとこ見たものは...酒にほろ酔う白狐か...




考えてみると、どんなに腕の良い百姓でも、豊作に身体を踊らせ、至る所に感謝をしたくなる程の喜びを味わえるのはそうそうないんだろうなと。

その日をこんなにも嬉しいと感じれるその様子が物語るものは、僕が感じる滲むような日本の美しさの1つだと、そう思った。


それを観ていたいから田舎に住んでいる。
明らかな1つの理由だったりもしている。


カシの木の上の天狗

2017.06.03 00:17|創る


夜が始まろうとしている夕暮れ。

縁側にくくり付けたハンモックに横たわり一日の疲れに浸っていた。

しばらくすると...風が一瞬強く吹き、山の木々が葉をザワザワと鳴らした。

河原で鳴く蛙の声がピタリと止んだ事に気付くと、僕の揺られるハンモックの真横にある大きなカシの木の上の方に何かの気配を感じた。


フクロウかムササビにしては少し気配が大きい。

目を凝らし、見上げてみると、そこには以前会った時とは少し違った様子の天狗が木の枝に腰掛けて東の方角の山を眺めていた。


あっまた来た。

そう思った。


以前とは違い、何やら新し気な飾りをどっさりと身に付けて機嫌が良さそうな雰囲気だ。

僕は少し間を置いて意地悪に「あ~今日も疲れたし、そろそろ風呂にでもはいろうかな」と気づかないフリをしてみせた。

すると天狗は相変わらず東の方角に顔を向けたまま肩を上に上げると、ストンと脱力をする仕草をして見せた。

すると風はまた一瞬強く吹き、森の木々も葉をザワザワと鳴らした。

今度は僕の寝そべるハンモックもゆらゆらゆらゆらと揺らされた。

鳴き止んでいた河原の蛙は再び鳴き始め川の流れもいつもと同じように耳に入ってくるようになり、僕を含めたカシの木を取り巻く空気が落ち着いた。


「分かってるよ」


僕はそうカシの木の天狗の背中に話かけた。

身に付けた飾りの音がジャラッとなり、腕組みをし始めた様子が暗い木の上の天狗の後ろ姿から伺えた。

僕は続けてその天狗の背中に話しをした。


「前もこのタイミングだったような気がしてるよ」


天狗は前と変わらず何も言葉を発することなくこっちに背中を向けて、ただただ枝に腰をかけているだけだ。

全部分かってるようなその落ち着いた背中はとてつもなく僕の気持ちを落ち着かせてくれた。

以前会った時と同じように、眠りが心地良くない数日を過ごしていた僕には少し眠気が訪れる程の気持ちの良い空気感だった。

下がりそうな瞼を擦り、カシの木を見上げるとそこにはもう天狗はいなかった。


ただ何故か...裏山の入り口で番をしているウチの飼い犬が「ワォーーッ」と遠吠えを上げていた。





「孤独だ」

孤独がまた訪れた。


誰に何も聞かれず、誰に何も伝えることもせず、ただただ孤独な時間を過ごしたいと。

そういう気持ちがまた身体中に広がった。

根暗な僕には久しぶりに訪れたわりと好みな気持ちだ。

そうやって居もしないモノに想いを寄せて自然の音や景色に日々の時間を費やして過ごしていたくなるんだ。

そんな事をボヤきながらハンモックを降りて裏山にある鶏舎に登った。


鶏舎に入ると少し嫌な顔をした雄鶏二羽を「ごめんよ」と自分の身体に抱えると別の場所へ作った雄鶏専用の防音の効いた小屋へと連れて行く。

夜鳴きで近所に迷惑がかからないよう考えた僕の勝手な成果は、暗くなって目が見えなくなった雄鶏二羽にとっては、またあの狭い小屋か!と、とてつもない迷惑な事で、それはそれは不機嫌そうな顔ったらない。


最後の仕事を終え、家に入るとようやく風呂を沸かし始めた。

夜も20:00をまわり、これから、煮炊きをして風呂に浸かり、床につくっていう作業を考えると夏至が近づく夜はよっぽど短い。


トントン

トントン


今度は家の玄関の引戸を叩く音が聞こえた。

え?天狗?玄関から?

いやいやそれは僕がさっきまで楽しんでいた空想の話しだ。

戸を開いてみると、いつになく優しげな顔をした友達が立っていた。


「どうしたの?」


なんて聞きながらも僕は彼が何を話しに来たかは何となく分かっていた。


「いや、たまには話しでもしようかなって思ってさ」


きっと彼も何を話しに来たかなんて分かってるくせに...とそう思っただろう。

友達は少し気を遣ってくれた様子で和かに、そう言うと、入っていいかい?と表情で遠慮がちに言った。


「勿論」


そう伝えると、さっきまで天狗と話しをしていた僕のことなど露知らずの彼は、土間に座り込み話しをし始めてくれた。

僕に聞きたかったことがあったとそう進めてくれた彼の、押しも引きもない、友達というただただフラットなテンポで進む会話は少し疲れた頭には調度良かった。



頷いたり話したりを互いにしながら小一時間程話すと友達は帰っていった。


良いコトを作るにはこのくらいの柔らかな気持ちが大事なんだと、そう思い、半生とか気付きに少し似たような気持ちで、この夜はようやく風呂に浸かることが出来た。


色々なことを多角的に考えながら1つの結論に結びつける作業にコジレが生じると僕の家には山から天狗が降りてきて必要としていた出来事を与えてくれ、自分が一番大事としているコトは何か?を映し出してくれる。




なんて夢みたいな話なんだ。

今書き残しておきたい事の1つ1つ③

2017.03.07 09:22|日本


「自分は世の中に対して何か気持ちのこもった事を出来ているのだろうか」

前の記憶で、そんなことをただ直向きに考えてる日々があった。

なんと漠然としたテーマに悩み、遠い答えに、ただひたすらな時間を費やしていたのだろう...

世の中ってのはとてつもなく広く、その枠組みの中にはそれぞれの社会が各所に点在している。
どこの世に気持ちを込め、生を尽くしていけばいいものかも分からずに、ただ漠然と悩んでいる姿はいったいどんだけの距離の泥道を歩かせてくれただろうか。


そんな考えを一度自分から解き放ち、憧れた気持ちを持つことをやめ、ただ吸収するという意識を高めてみた。
すると、あれよあれよと沢山の言葉が入ってくる感覚を教えてくれたのは、なんと自分の身体だった。


今日はそんな話しを書き残しておこうとおもった。



「会社の為に一生懸命働くこと」

それが社会貢献であり世の中の為となる。

当時、決まって返ってきていた言葉に働くこととは何なのか?と疑問を持っていた。


その仕事にはどんな人達がどんなことを考えて働いていてどんな事をしているのだろうか?

又、その仕事はどこの世に対してどんな気持ちを込めてはじめられたのだろうか?

誰の為に何を作り、何を何処に供給しているのだろうか?

それはこの先、何に変わりどうなっていくのだろうか?

もし、働くという事が最大の社会貢献だとすれば、その仕事がもつ世の中に対しての役割をきちんと知る必要があった。



これはそれからの自分の為に。



生活していく為に会社に入り、一生懸命働き労賃を頂くと、それは消費という形で何かに変わり、社会に放出され、またそのお金は、違ったは形で自分の手元へと戻ってくる。

その仕事とお金というサイクルの背景には様々な事が展開していて、気持ち的な面で人に喜んでもらったりして誰かの役に立っている訳なのだか、その逆もあって、知らずのうちに悲しませてしまったりもしているという事もあるのだ。


何が誰かの不幸を生み出していて、何が誰かの幸せを保っているのか。

そしてその不幸はどうすることで改善されていくのだろうか?


今、世の中という広い視野を持って眺め、情報を得てみると気付けることがあった。



例えば1つとして、資源と権利という分野だとすると、その根本には自然という掛け替えのないものがある。


自然があるから自分達が今ここでいきていられるということは小さな頃から衣食住を通して「ありがとう」や「いただきます」といったごく日常的な言葉や、歴史的な背景を踏まえた学問などを通して教えられてきた。


だからこそ...
今この世の中に広がる1つ1つはこれまでの方々が生きていく為に必要と、求め、資源と権利を活用して匠に作り上げてきた物の現で、生活水準の上昇としては「豊かさ」として社会的に評価されているということを知れている。



だとしたら...
この続きを僕達がこの与えられた生涯を使って次の世代に対して意識的に繋げていけること、又は繋げていきたいとおもえることの匠ってのは何なのだろうか?


僕が僕自身で関心を受ける事に対して、話し、聞き、経験し、学んできた足どりは1つの答えとして次の様に結びついた。

きっとそれは、他の人とは一緒であったり違ったりもするんだろうけど。



その国の資源に直接触れながら持続的で持久的な考え方を軸に仕事を展開していくこと。

それが「人と社会」「自然と生命」というものに対して空いている、互いの社会観といった隙間を「生きること」といった面で更に繋ぎ合せてくれるだろうとおもうきっかけがあったから。



「人は幸せになる為に生きている」

と、ある人が世に対して発言をした。

もし、その言葉が本当であれば、働くという長い苦労も、今の時代を共に生きる誰かに喜んで頂けることで自らの幸せにも変化していくだろうと。

だから何を生業とするかということは僕にとって重要なことだった。

どんな仕事でも、誰かの役に立てなくては仕事という言葉がもつ本来の意味合いとは違ってきてしまうのではないかと考えていたからだった。



続く...(かな?)


カレンダー

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

プロフィール

亮 RYO 

Author:亮 RYO 
2009年の退職を期に2013年までの4年の間 自転車で日本を旅しながら農業やアウトドアを中心とした日々を過ごす。
貴重な資源を循環させ、自然と共存していくことが大切。
農薬や化学肥料に頼らず、自然の力で育つ農作物や、土に還る素材を使用しての作品作りで未来へのおもいやり。


最新記事

カテゴリ

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
46738位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
創作日記
1985位
アクセスランキングを見る>>

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

月別アーカイブ

最新トラックバック

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。